祖母の脳梗塞日記①


なんか前回まで散々よくわからない夢の記憶を書いたあげく放置していたBlogを再開します。

理由は先日祖母が脳梗塞で倒れ、その祖母とどういう風に向き合っていくのか記録したいと思ったからです。
元々備忘録のために作ったblogだったので、ちょうどよいかなと思います。


1.事の経緯


一昨日僕が川越祭りで楽しんでいるときに、一緒にいた母の携帯に「祖母が倒れた、冷たくなっている」との連絡がご近所の方から入りました。


ちょうどその日は別の祭りで父も不在で、祖父が姿の見えない祖母を探して発見したそうです。
もうそのときには身体が冷たくなっていて、急いで救急車を呼び、ご近所の方に母の携帯に連絡してもらったようです。


それでもこの発見がとても早かったらしいことがあとで分かりました。
一命を取り留めたのは、このおかげかもしれません。


近場で飲んでいた父と親類が一緒に救急車に乗り、東京医科歯科病院に運ばれました。
僕たちも川越から急いで帰り、病院に向かいましたが、こんな大事の時に、
駆けつけた家族全員が見事に酒を飲んでいたというのもうちらしいなあと思います。


ちなみに倒れた祖母もお酒が大好きで、どうもその日も一人で退屈していたのかお酒をずいぶん飲んでいたようです。
それで体温が下がったのかなあ・・・


病院に駆けつけた時には、大きな動脈瘤が発見されていて、それが血液の流れをふさいでいるため、
意識がまともに回復しないで麻痺が残ってしまう状態になるか、
それともそうなるくらいなら発症後タイムリミット4時間の血液をサラサラにする薬を投与し、
一か八かの手術をするか、というような状況になっていました。


僕は見ていませんが、スキャン画像?などでかなりはっきり見えたそうです。


医師の詳しい説明は母たちが聞いていたので、僕はひたすらに祈っていました。


「帰って来い」とずっと思い続けていました。

不思議なもので、自分のことだと祈りなんて捧げる気にならず、ただテンパるだけですが、
人のことだと無条件に祈れます。


僕にはどうすることもできないことだからです。


その後しばらく病院でまっていると、動脈瘤が消え、自力で血液の流れが回復してきたと報告を受けました。
何が起こったのかはさっぱりですが、まだ声が全く出せず、身体はうまく動かせないものの、意識もわずかながら回復していました。


僕たちは非常に安堵しました。
つい先刻までは、すぐに生きるか死ぬかの手術を選択する立場にあったからです。


それでもこれからの精密検査によって大掛かりな手術になったりする可能性はあるのでしょうが、
死に直面するような状況から脱したことで、みんなかなりホッとしたと思います。
自然と口数も多くなりました。


それから祖母はER‐ICUに移り、少しだけ顔を見て僕たちは帰宅しました。


長い一日が終わりましたが、僕は帰ってからも深く眠れず、何度も目が覚めてしまいました。



2.さまざまな症状の発見


入院一日目は僕は大学でお見舞いにいけず、母と叔母がまず医師の詳しい説明を受けに行きました。
祖母の様子を見に行くと、言葉が少し話せるようになっていて、身体の麻痺もとれてきてどんどん回復に向かっているとのことでした。
家の猫にも合いたいと言っていたそうです。


二日目は僕も一緒にお見舞いに行きました。


ここから僕の気付いたこと(症状)を色々と書いていこうと思います。
僕の見方は少し冷淡な部分もあると思います。


なぜなら僕は既に祖母が元通りには戻らない可能性を十分考慮に入れているし、
脳を損傷したのだから、少なくとも現状は以前と同じようにいかないことが明らかだと思っているからです。


母は逆にもとからの気質もあってか少々過剰に受け止めているように思います。
女性差別と取られかねないですが、僕の見る限り、女性にありがちな感情を表に出してしまう反応です。


もちろんショックが大きいのでしょうが、大げさに言えば多少ヒステリックな反応をしたり、
祖母がうまくできないことを言葉上やわらかくても明らかに困った様子で対応していて今日は見ていてすこしハラハラしました。

実の母ですから、冷静でいられないことはわかるのですが。


ただ話しかけることは大好きな母なので、あまり幼児相手のような大げさな反応をせずに根気強く一緒にいられればとてもプラスにはなる気はします。


僕は正直言って今の祖母を、子供やもっといえば動物のアナロジーでとらえたりしています。

そういうと「しつけ」的な見方をされてしまうかもしれないですが、そうではなく、
コミュニケーションとしてきちんと利点があることに今日気付きました。


一つには、あまり言葉や態度の表現にとらわれすぎないで、何をしたがっているのか、
「行動」の観察から判断してあげると、相手のしたいことが割りとわかるのです。


子供や動物とはうまく意思疎通はできません。彼らは言葉を僕たちほどには活用できないからです。
言葉や表現上、僕たちと同じルールにはいないのです。


でも祖母は「しつけ」る必要がある状況とは違って、一般常識が十分に残った上で、うまくそれが表現できないでいるのだ、と僕は思いました。
その理由もあとで書きます。


だからあまり表現にとらわれると、祖母のもどかしさを刺激してしまうだけな気がします。


また子供や動物のアナロジーで考えると、祖母の言動に一々動揺したり傷つかずに済みます。
そういう状態であることが仕方の無いことだと多少冷静になれるからです。


それを見下したりするのではなく、やさしく理解できると僕は思います。
こんな僕の立場だからこそ気付くことは意外とあると思います。


僕は言語学を専攻していたときに認知言語学も多少勉強していたので、そうした多少専門的な概念で整理はしますが、
もはやうろ覚えでよく調べたわけではなくあてずっぽで使いますw


これから書いていくことは完全なるシロウトの発見と考察ですが、気付いたことは担当医の方にもどんどん相談しようと思いました。
自分なりにこれはどうして起こるのか、こんなことを試したらどうだろうと思うこともたくさんあったからです。



2-1.顔認識がうまくできない。


行ってすぐ、祖母は母のことがよくわかっていないようでした、僕のこともよくわからなったようです。
ただ母と僕のことと名前、つまり記憶は鮮明なようで、「○○だよ!」と教えてあげたらそれはすぐにわかったようです。


また話している途中で少し間があいたら、「誰?」と聞かれました。
正直これには多少動揺して傷つきましたが、僕が傷つくことと祖母の症状の改善には関係が無いので、冷静に観察しなければいけません。


これはどういうことか考えるに、長期記憶は割りと鮮明であるが、短期記憶やその判断に問題がある状況ではないかと思いました。


ただ、顔認識に関しては、もとから目が悪くなっていたこともあり、
眼鏡をかけてあげるとよく見えるといっていたのでその所為もあったのかもしれません。



2-2.言葉がうまくしゃべれない。


前日深夜には一切言葉を発することができなかったことを考えれば驚くべき回復だと思うのですが、
なまじ言葉を話せるようになると今度はそれが常識的な話法から乖離していることがどうしても気になります。


実際母はかなり動揺していました。


具体的にどういう症状が見れたかというと、語彙が極端に少なくなっているということです。


それは以下のような特徴で見られました。



・指示代名詞を多用する。


まず「眼鏡」がいえず、「あれもってきてないの?」と繰り返していました。
この時母が髪をとかす用のくしをもっていったのですが、それより「あれがほしい」と話し始めました。


その時おでこのあたりを押さえたり、病院のベッドのはじをさすってなにかを探しているような様子を見せていたので、
僕が「眼鏡じゃないの?」というと正解だったようです。


これは訪ねてすぐのことだったので、僕はこの時すぐに祖母への対応を切り替えることにしました。
言葉がでてこないのだ、と分かり、子供や動物のアナロジーで行動で意図を汲み取ろうと考えたのはこの時です。


でも祖母は記憶にある眼鏡の用途やいつもある場所は覚えているのです。

そうでなかったらおでこを触ったり、枕元を調べるような仕草をするはずがありません。


そして身体を伸ばしたかったりする時に「ひざ」とか「ひじ」とか「伸ばす」とか「曲げる」といった名称や動作がうまくいえず、
しきりに「いつものように」とか「ああしたい」とか繰り返していました。


この時分かったのは「あれ」や「それ」などの指示代名詞が多くなることです。
指示代名詞の「指示」自体は、おそらく直感的で直接的なものです。


子供でも「あえ」とか「ああ、ああ」みたいに指を差すことができると思います。
目の前のものを示すにはとても有効です。


ですが言語的に記憶を頼りに「あれ」とか「それ」を使いこなすのはかなり高次の機能だと思います。
こちらがそのシチュエーションをわかるように説明してもらわないと、まず何のことだかわかりません。


うちではよく父が
「あれどこやった」だ「これどこやっただ」と自分だけの記憶を頼りに指示代名詞を使い倒してよく家族に迷惑をかけますが、
祖母の状況ではそれと同じことがおきているように思います。


つまり記憶はあり、それが何のことが自分ではわかっていて結びついているのに、
うまくいえないためにもっとも直感的に「あれ」と言ってしまうのです。


僕なんかはまあ対処する時は大変ですが、客観的に考えると、記憶はあるし、
自分ではそれが何かわかっているのだななんて思って少し安心しました。


ただ自分が指し示したい場所を、自分では差しているつもりなのでしょうが、
全然違うところを差しているような感じがしたのが気になりました。

視覚情報がどこかおかしいか、脳から腕への信号が何かおかしいのかもしれません。



・直感的、感覚的な言葉の使用になる。


僕らが祖母の意図に反していたり、あるいは祖母にとってはかなり妨害と思えるような言動をこちらがとってしまうと、
祖母は僕らを「あんたら頭がおかしいんじゃないか」ほんとに「○○(母)なのか」、
「頭が狂ってる」、「バカ」ということを繰り返していました。


特に「頭が狂ってる、おかしい」はかなり連発されました。


正直動揺とともにムカつきました(なぜなら僕はおかしいのは祖母だと思うからです)が、
例えば分裂病の人が異なる感覚世界を感じるように、祖母も今かなり前とは違う感覚が鋭敏(特に聴覚)なのかもしれないと思い、
ここで意思疎通が食い違うのは仕方がないと考えました。


実際「ニャアニャア」ないているだけのネコよりもコミュニケーションは格段にとりやすいのです。


問題は人間のほうが要求が複雑なことに加え、それがうまくいかないときの暴力的にも感じられるこちらを刺激する言葉遣いなのですが、
これも語彙がかなり少なくなっていることが原因ではないかと思うのです。


おそらく祖母としては「何で分かってくれないのか」ぐらいの意味で使っているのでしょうが、
そうした語彙のうち極めて強い、カリカチュアされた語彙しか残っていないのではないかと思います。


小学生は敬語などほとんど使いませんし(そういう概念がない)、平気で人に向かって
「あんたバカなんじゃないの?」みたいなことを言ってきます。
(たいてい自分の理屈が通らなくて思い通りに行かない時のヒステリーです)


また「頭が良い」とか「強い」とか小学生ヒエラルキーで上位の概念用語を好んで使ってきます。
これはまだ彼らの語彙にニュアンスの多様性が少ないからです。


子供は悪気無く結構平気でひどいこといって人を傷つけたりしますから、おそらく祖母もそういう状態にあるような気がします。


祖母の場合は、子供とは違って、常識は残っていても語彙表現が追いついていないのだと思います。
看護師さんや担当医の方に敬語を使っている時がありましたが、それはそうした長期の記憶にかかわる部分が働いている証拠な気がしました。


また「痛い」とか「怖い(どうやら病院がすごく怖いらしい)」といった言葉は頻繁にでてきます。
これらもとても直感的な言葉です。


こうした言葉はすぐに出てくるのに、自分の意図が伝えられない、伝わらないことにかなり怒っていたように思います。
そうした点も子供と同じですね。


ただこちらの言葉はすごくよく理解している様子でした。
聴覚がかなり敏感になっているような様子からも、聴覚的な機能やウェルニッケ野はある程度機能していて、
ブローカ野に損傷を負ったような言語障害に感じられました。



2-3.幻覚症状


祖母は今病院にかなりの恐怖を感じているらしく、しきりに「怖い」、「家に帰る」と言います。
「ほら、来た」「あっちから来た」とか「あれが怖い」とか奥の方の患者さんのベッドを指差したりしています。


しかし僕らがそれを許さずに、「もう少し回復してからにしよう」と言っても、「頭が狂ってる」呼ばわりされるばかりです。


正直「テメーこのヤロー」と思いますが、冷静に見てみるとどうも治療機械の音や、
頻繁に通る先生たちの回診、看護師さんたちの足音や姿が通り過ぎるのが怖いようなのです。


初めに治療機械の音に気付いたのは、「あれが来る、怖い」と指差した方角に、
寝たきりになって大きな機械が取り付けられた患者さんを見つけ、そしてその機械の音が結構大きいと感じたからです。


「シュコー、シュコー」と僕からするとダースベーダーのマスクから出る呼吸音に聞こえなくもないです。
これは確かにずっと聞いていたら怖い、と思いました。


さらにICUなので、先生や看護師さんは結構な人数で数値をみて回診をして通り過ぎたりしています。
足音が響くと祖母は反応しているように思います。


うまく人が認識できていない感じのする祖母からすると、得体の知れない人たちの姿がやってきたり通り過ぎていくのは
非常に怖いものなのではないでしょうか。


そしてそんな病室で一日ずっとすることもなく過ごしていたら確かに頭が変になるかもしれません。
何か音やシルエットに恐怖を感じるようになるかもしれません。


具体的に誰か特定の人を怖がっている様子ではないので、おそらくそれは感覚的に襲ってくるものなのだと思います。


僕らと話している途中でも関係なく怖がったりするので、何かしら敏感になっている部分やスイッチがあるのでしょう。
僕は今日の観察からだと「音」だという気がしているのですが。


もう一つに幻覚症状とは違いますが、トイレに頻繁に行きたがる、というのがあります。
これはまだいまひとつ理由が分かりません。


ベッドに腰がゴムバンドのようなものでおきて座れる程度に固定されてるのですが、そこからしきりに立ち上がろうとします。

トイレに行きたがるのですが、実際便器をあててしてもらおうとしても出ないのです。


これは精神的な理由で出ないのか、または出そうという感覚が別のものの勘違いなのか、
トイレに行くといえば外に出られると思っているのかちょっとよくわかりませんでした。


ただトイレに関して分かったことは、祖母には「恥」の概念があるということです。


「その場でしても大丈夫になってるんだよ」、といっても祖母はそこですることを嫌がっていました。
「なんでここでするの?」といって嫌がります。


看護師さんを呼んで対処してもらう時も僕らはICUの外まで出ていました。
(結局便は出ないのですが)

おならを出すにも多少抵抗があるような感じでした。


ということは、祖母は排泄という行為を分かっていて、それが恥ずかしいものなのだ、と思っているということです。


そんなの当たり前と思うかもしれませんが、子供は平気でおならやゲップをして喜びますし、下ネタを口にすることが大好きです。
さすがに大便小便はその場でしませんが、野生に近くなるほど排泄と恥が結びつかなくなります。


「恥」は規範が無ければ生まれませんし、人間の特徴的な機能だと思います。


僕は祖母が恥ずかしがっていることにも安心したのです。



2-4.悪意を感じ取る妄想



祖母が病院を嫌がるもう一つの理由に、
「そこにいる人たちが悪い人たちだ」「自分に何かしようとしている」という思いがあるようなのです。


実際後者に関しては病院なので間違いないのですが、そこで相手に対して異常に悪意を読み取るようになっています。


ただこれもなんとなく想像がつきます。


祖母はおそらく自分の行動の束縛に対して非常に敏感になっているのです。


病院としては治療や検査をしますから、何もできない自分は一種のモルモットです。
いつもであればそこに治してもらう善意を感じるところを、
「自分の行動が制限され、自分の人間性が疎外されている」という観点を強調してしまっているのだと思います。


子供は束縛が大嫌いです。
彼らはルールに適応するまではナチュラルなアナーキストのような振る舞いをみせますから
(実際は思い通りにいかなくて愚図ってるだけですが)、自分の行動を制限するものには非常に敏感です。


お互いの約束で始まったことであろうと、自分が不都合になれば命令や強制に感じているところがあります。


こうした時の反応は非常に直接的で、泣いたり、黙り込んだり、まるでこっちの話を聞かないで勝手なことをしたり平気でします。


祖母はその分悪意の読み取りが老成しています。
病院が金をむしりとるところだと思っているようで、僕らが「まだ帰れないんだよ」というと頭のおかしい病院の回し者扱いされます。


きっと看護師さんや先生にも「こいつら自分の心配なんてしてないで金とろうとしている」と思ったりするところもあるのでしょう。


でも僕はその悪意の読み取りの鋭さに感心します。


事実病院はボランティアなんかじゃないし、医師や看護師さんも仕事でやっていることです。
無償の愛ではありません。


子供は無償の愛が当たり前だと思っている点が少し残っていて、この人は子供が好きでそばにいるのだろうと漠然と考えているようです。


これは今日家庭教師をしていてしりましたが、はっきりと
「いや、給料がいいからだ」と生きていくうえで何が必要なのか含め丁寧に説明してあげました。


僕は逆に教わることが多いので、子供の悪意にも、無邪気さにも、素朴な考えの鋭さや逆に理解の足りてなさにも親身に付き合いますが、
これから生きていくうえで良くないだろう幻想は容赦なく打ち砕きます。


祖母の場合はそこら辺の社会のことを十分に理解していて、僕や母が冷静で要られなくて困った様子を見せたりすることにも
少なからず何かを感じ取っているはずで、それが自分の行動を縛るものだから非常に束縛を感じているのだと思います。


病院の営利目的を理解して結び付けているところなど、その鋭さちょっと立派だなと感心したのでした。


ここまで書いてきて思いましたが、僕は冷淡というよりむしろポジティブすぎるのかもしれません。
直らなくても別に良いじゃん、というよりは、ここまでできるんなら大丈夫なんじゃないか、
改善していくことはできるんじゃないか、と思っている節があります。


でもそうしないと僕自身が傷つきますし、これが自分なりの距離のとり方、対応の仕方なのだなと思います。



3.試してみたいこと


ここから自分がこんな風にしたらいいんじゃないか、祖母のストレスが少しは減るのではないかと思ったことを書いていきます。


まずどうにか回復して欲しいのは、病院への恐怖と、言語障害から来る暴力性です。


初めは退屈を紛らわすのと、文字に頼らないもので「マンガ」をなにかもって行こうと思ったのですが、
そうすると聴覚的な部分への刺激と幻覚が改善されない気がしたので、今は音楽を聞かせたらどうだろうかと考えています。


そうすれば聴覚的な恐怖を軽減できるのでは、ということと、
日本語を聞くことで語彙が回復していくのではなどということを考えています。


やはり演歌ですね。好きなのは。
明日は僕の好きな美空ひばりをセレクトしてもっていこうと思います。


あと綾小路 きみまろが好きといっていたので、それの音声も入れてもっていこうかと思います。

あとは今そんなことをしても大丈夫なのか、明日担当医の方と相談してからということになりますが。


最近落語を聴くのですが、そういうのも聴くか明日聞いてみないと。


でもMP3プレーヤーを使いこなせないだろう事が最大の問題です。
どうしよう・・・


今はこれくらいです。

正直これができれば、恐怖、退屈、言語、とかなりの不安要素を改善できるのではと思っているのでうまくいくといいのですが。

もう一年たつのか。ダメ人間進行中

久しぶりにblog開いたらもう前回から一年近くたっていた。
実家に戻ったので身体はすっかり肥えてきたけど、精神的には全く成長せず。
むしろどんどん社会的な人間からは離れて自己肥大だけが進行しているようにみえる。


類は友を呼び、ダメ人間はダメ人間を呼ぶらしい。
僕の回りはすっかり無職連中の吹き溜まりになったw


高校の人間で今もよく会う連中は同じ剣道部の人間だけになっている。
まあそんなものだとは思うのだけど、そのメンバーというのがほとんどみなある同じ役職についていたことに気がつきました。


その名も「応援し隊」


正式な役職でもなんでもないので字があっているのかすらわからない。
というか前年度には無く、翌年度には無くなったなぞの役職。
当然現役中一度も活動はありませんでした。


僕はこの役職に任命されたことを電話で聞きました。
酒を飲んで麻雀か何かしているときに突然電話がかかってきたのです。


その日は先輩からの役職の引継ぎ式であり、部員は全員で焼肉だか飲み屋だかに行っていました。
僕はめんどくさかったのか理由すら覚えてませんが、普通に行かずに家で麻雀をしてました。
他にも部員が数人いましたが、そこに電話がかかってきて、
「何で来てないの?早く来いよ」と言われました。
電話してきてくれたのは、今もつるんでいる人間の中ではとびきり優秀な人材のKくんです。
きっと30までには余裕で年収一千万を稼ぎ出すことでしょう。


適当に理由を言うと、役職が決まったと教えてくれました。
キャプテンは○○、部長は○○、「ふーん」というと、僕にも役職があるというのです。
そこで初めて「応援し隊」の存在を告げられました。


はじめは意味がわからなかったので3回くらい聞きなおしましたが、それでも意味がわかりませんでした。
たぶん広辞苑にも載ってないです。


「それで何をする役職なの?」と聞くと、「俺にもわからない、応援するんじゃない?」
と言われましたが、まあ普通に「悪ふざけ」ですたぶん。
うちの部活は先輩後輩の上下関係が全然無く、先輩はいい意味でなめられていたので、
ここぞとばかりに仕返ししてやろうみたいな、なんか適当なノリで作ったんだと思います。


そこでメンバーを聞くと、当然横で麻雀をしているメンツが入っており、他にいつも集まりには遅れてしかこない
なにかとめんどくさいJくん、なかなかなじめてないTくん等が選出されていました。
要するに剣道部のクズを集めた役職が「応援し隊」です。


ところがその中に僕を含めてレギュラーが3人いたのですから、この部活のクズっぷりはきっと全体的にレベルが高かったんだと思います。


そんな応援し隊のメンバーは今も僕の大切な友人です。
学生という身分を担保にしているのが僕を含めて2人いますが、それも時間の問題な気がします。
というかその2人が最も厄介で最後まで適応できないと思います。


僕の高校はクラス替えが無かったので、3年間もあればクラスのカラーはできあがります。
僕のクラスは学年で一番だらけきったクズクラスだったと思います。
都立では学区一の進学校だったので暴力なんてスマートじゃないことはいたしません。


みんな真面目でした。
みんな華麗に重役出勤でした。


僕がお昼休みにのそのそ学校へ行くと、まだ半分くらい席が埋まっていないなんてことが良くありました。
授業中は静かにマンガを読み、将棋をやっていました。
一度だけ麻雀を昼休み中に終わらせることができず、授業までに片付けることができなかったことをまだ覚えているので
そのことはとても悔やんでいるのだと思います。
そんな迷惑をかけることは望んでないからです。


そんなクズクラスには「村」という制度がありました。まあ勝手に作ったわけですが、
クラスでもトップクラスの方は東大や東工大に行く人たちだったので知らなかったと思います。
学期テストで下から10番以内に入るとクズの中のクズとして「村民」の称号を得ました。
ドベは「村長」というクズの王様のレッテルを張られます。


まあ下から5番はいつも固定席だったので、そんなやつらと一緒にされたくない人たちにとってはいい迷惑だったことでしょう。
下から5番は教室の席も一番後ろの固定席で、席替えのくじ引きの参加を免除してもらっていました。


当然僕もそこにいました。理由は本(ほとんどマンガ。毎日週刊誌を買っていたから)読んでいたかったので。
2年の途中から目が悪くなり始め、黒板が見えなくてもメガネをかけなかったので、質問されても何を聞かれているのかすらわかりませんでした。
隣のやつに、なんて書いてあるのか聞いても当然寝てるかマンガ読んで聞いてないのでわかりませんとしか答えようがありません。
ヒステリックな先生がいたので何度か激昂し「何しにきてるんだ!帰れ!」と言われたのを覚えています。


これも別に反抗的な態度というより普通に見えなかったからなんですが、
今考えるとひどい。普通に迷惑かけてるし。なんでみんな許してくれていたのか聞いてみたい。


ほんとうにクズがクズを呼ぶのです。
強いものが匂いに引かれて現れれるがごとく、うちのクラスにはクズのシンクロニシティがおきていたとしか思えません。


僕は真面目な人が好きですし、その人たちを軽蔑したりする気持ちは全く無い。
でも自分はどうやら真面目にそういう生き方ができないらしい。
バイトなんかは別ですけど。いたって真面目。


中学校のころはささやかな反抗をしていたように思います。
それは学校のやり方、大人たちのいうやり方なんかに従わなくても「良い」成績なんてとれると示すことでした。
彼らは人の生き方を否定するし、「立派な人」の行動を規範化するので、そんなものと結局あんたらが価値判断をする
学業の点数なんて結びつかないと示すためでした。


だから予備校なんかの全国模試みたいなテスト以外の中学校の成績は最後の内申点にかかわるもの以外平均レベルだったと思う。
これなんかは真面目にやってる人を多少馬鹿にして軽蔑した態度だったのかもしれませんが、


でも次第にこの「良い」の基準自体は一緒であって、そんな反抗全く無意味だと気づきました。
真面目な人を尊敬できるようになりました。
しかしどうも自分にはどんな分野でもこの「良さ」に向かって積み上げていくことに強烈な拒否反応がある気がします。


何かを積み上げて「できるようになる」、「知識量がふえる」、「わかるようになる」
そういったことが自分の幸せや、満ち足りた感情につながっているようには全く思えない。


途中で強烈に壊したくなるのです。吐き気がするほど拒否したくなる。
もちろんこれらはある方向に向かっている「過程」に得られることなので、おそらくそれ自体を拒否したい
のではなく、その向かっている所の価値観が嫌になっている。
それが見えてきたときに、その価値観を直感的に判断したんだと思う。


そしてその価値観を拒否して、自分が突き進みたい「良さ」を真面目に追求しようとすると、
明らかに不真面目な生き方になるようです。社会的には許されない生き方になるみたいです。
そのことが自分に対しいっそう真面目に不真面目な態度をとるように脅迫してきます。
ひどい中二病です。


自分は全く多くのことを望んでおらず、はっきりいうともう望みの8割方は手に入れているように思うのです。
大阪にいた大学時代、自分はほとんど実践できていたように思います。
でもどうやら望まずにいるという状態はこの世界では「間違い」みたいです。


その間違いに進まなかった、あるいはそれを修正しようとした友人たちが、今僕の周りに戻ってきたように思います。
きっと彼らは社会でダメ人間、クズのレッテルを貼られていることでしょう。
その点は全く僕も同意します。それは全くの事実なので。
中途半端な自己救済をする物語ほど腐ったものはないです。


でも僕は今、それでもなお「それでいいじゃん」という思いのほうが強いです。


昔はとても長生きしたいという思いがありました。
幼稚園のころ「死」について疑問を持ったときに誰も答えてくれず、「死後の世界」のような的外れな答えしか返ってこなかったので、
僕は原体験として「死」にかなり恐怖を持っていると思います。


死ぬことへの怖さもあってか、僕は世界の変化をできるだけ見たいと思うようになりました。
だからできるだけ長生きしたいと思っていました。


でも今はそんな思いは全くありません。
そんなものはWikipediaでリンクをたどってネットサーフィンするのとなんら変わらないように思うからです。
情報量なんて増えても自分の幸福に全く貢献しないと思います。
ネットで情報だけ漁っている自称情報通が幸せと結びつくとは全く思いませんし。
長生きしてもたぶん情弱を蔑むごとく、昔語りや情報量をひけらかすことしかできないはず。


それといろいろなものに感動できるということはまったく別でしょう。


だからもう今は自分の魂が魅かれる物、そのうごめいている力の形式に自分なりの生きた内容を与えたいという思いしかない。
住むところははどこでも良いし、一日どんぶり飯一杯で生きていけることは大学時代わかったのでそれで十分。
もうそれ以上の望みがないのです。


「なぜ勉強しなければいけないのか」
そうしたクリティカルな質問をしてくる子供はたくさんいると思います。
でも彼らは自分が勉強ができる側の人間になるととたんにそのことを忘れます。


「なぜ働かなければいけないのか」
そういうニートも腐るほどいると思いますが、彼らの多くも自分が社会的地位の高い権威の側にたったとき
一番初めに自分が抱いていた疑問や吐き気がするほどのあの感覚を忘れると思います。


僕はそれを忘れることができない腐った子供です。




ああ…んなこと書くつもりじゃなかったのに、
気がつけば延々どうでもいいこと書いてた。


今回は偶然開いたときに前回の更新が西村ツチカさんの『なかよし団の冒険』だったので、
そういや偶然にも新刊買ったばかりだなと思って載せようと思っただけなのです。


というわけで『かわいそうな真弓さん』買ってください。
限定版についてる冊子がとても付録とは思えない出来なのでぜひ限定版の方を!!!


かわいそうな真弓さん 限定版(リュウコミックス)

かわいそうな真弓さん 限定版(リュウコミックス)




最近夢見が悪すぎて、かつてない精神状態なので、せっかくだから次から夢日記をつけよう。
七月からほとんどPC回りの調整しかしてないので暇ならそっちもメモ代わりにつけよう。

今日は運命の日?金運は×

今日はマンガを買いにぶらりと上野まで歩きました。


上野駅のアトレの明正堂書店


アオイホノオ』『乱と灰色の世界』と手にとった後、『PEACE MAKER鐵6』が出ているのを発見。
ピスメ再開したのは知ってましたけど、なんか年月たちすぎて、あれもう出たの?って感覚です。


なんかいつの間にかサイトなくなってブログになってたのもつい最近まで知らなかったし



そして今日のお目当て西村ツチカ先生の『なかよし団の冒険』を探索。
どこや〜とコミックコーナー一周しちゃいましたけど、青年新刊の棚にありました!

西村ツチカ作品集なかよし団の冒険 (リュウコミックス)

西村ツチカ作品集なかよし団の冒険 (リュウコミックス)


初単行本だそうです。
COMICリュウ買っていないのでこれまでまったく触れる機会がなかったのですが、
昨日ニコ動で初音ミクの『やり過ごせるだろ』って動画を見て背景に使ってあるマンガがめちゃくちゃ気になりました。



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そこですぐに西村先生のホームページへ、すると単行本がなんと明日発売とのこと。
これはもう買うしかない!と運命を感じ本日購入してきました!


Amazonは一時的に在庫切れみたいになっていたので外に出たのですが、なんか復活してます。なぜ急に?


そこからごちゃごちゃいじってたら偶然『serial experiments lain Blu-ray Box』のページへ。
これ最初に予約開始したときは買う気満々だったんですが、予約延期とともに自分の懐もどんどん
ぺらっぺらになっていってしまい、今回は見送るつもりでした、



が!!


その時復刊ドットコムから予約していた『シナリオエクスペリメンツ レイン[新装版]』が到着…


タイミング良すぎるやろ〜^^;
これ運命だわ〜買うしかないわ!ってなんか今日はそんなんばっかで気付けばAmazon1-Click注文!




どうしよう…いつカードの返済終わるんだろう…


scenario experiments lain/シナリオエクスペリメンツ レイン[新装版]

scenario experiments lain/シナリオエクスペリメンツ レイン[新装版]

『潔く柔く』が完結。そのあと何気なく読んだ『ヤサシイワタシ』とのギャップが凄すぎた。

半年以上放置してましたが世間はいろいろ変化していたみたいです。



自分は何も変わってない…びっくりするわ。
何してたんだろう。
直近だと9月のお祭りの記憶くらいしかない。



お祭り終わるといつもひと月くらい抜け殻になってしまいます。
年に一度(正確には二日間)だけの爆発。めっちゃ楽しい。
でも終わると魂をどこかに置いてきた感じ。
大学四年間で十月は出席したことない気がする…


ようやく生気も戻ってきたかなあ。


気付けば『潔く柔く』が完結してた。いくえみ先生お疲れ様でした。


待望の13巻最終回、どんなふうに終わるのかなと思っていたのですが、
本編一話だけやった!!
なんか前の巻との間が結構あったので、やけにあっさりというか…
クッキー3月号では終わってたんですねえ。


あと三ヶ月読見続けていれば大阪出発前にはわかってたのか。

カンナ編一気に読めばよかったです。
なんか読者にとっては、ハルタの存在はでかくなりすぎてたような気がします。
12巻でほとんど完結してたのに自分の中でさらに育てすぎました。
もう一回はじめから読み返したいなあ。


潔く柔く 13 (マーガレットコミックス)

潔く柔く 13 (マーガレットコミックス)


そのあと近くに置いてあった『ヤサシイワタシ』を何気なく読んだんですが…
今読むんじゃなかったなあ。ちょっと毒気にあてられる。
やっぱり剛速球。
ほんとに中二病の痛々しい部分をカリカリのピーキーチューンした感じ。
でもいいマンガです。一巻で読むのやめちゃう人いるかもしれないけど。



友人に見せたことあって、そんときその子はなんで主人公死んだ後もだらだら続けてんだって言ってました。
もうここまで来ると死ぬしか物語の収拾つけられないキャラっているよなって。
いや、男の子主人公だったんだよって言っても全然納得してませんでした。


友人には女の子の方が主人公に見えたようで(一巻は特にそうだけど)、男のほうはといえば途中からいいセリフしか言わないし、
と気分悪くなったみたい。
でもそれで終わりじゃどストレートすぎる。
女の子が悪意振りまいて終わりみたいなマンガになってしまう。


でもこのマンガはちゃんと男の子主人公として描いてあると思うし、
上段からのいいセリフに見えるかもしれないけど、自分の居場所を確かめてる、そんな感じ。



ああ、ちゃんと生きなきゃ。


ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)

ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)

ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC)

ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC)

四年間のお勤めが終わりました。


帰ってきた!四年間の大阪生活を終えて?無事東京に戻ってきました!

4月から大学院生や!




いやいや放置しすぎました。゚(゚´Д`゚)゚。

なんや卒論やら引越しやらいろいろありすぎまして、ネットゆっくりやってられる状況じゃなかったです。


あいまにちょこちょこ楽しいこともあったので、メモも含めてまた書いておこうと思います。



それにしても引越しは四年間で荷物が増えすぎて、ホントどうしようかと…

まあ大半は本です。マンガ、雑誌、画集、一般書籍、

本好きの人はたいてい悩むとこだと思います。まあ私なんてかわいいもんなんでしょうね。


ただ雑誌と画集とマンガ半分の時点で既にダンボール十五箱超えたときはちょっと心が折れかけたヽ(´Д`;)ノアゥ...


さすがに創刊号から取ってあった『ジャンプSQ』は捨てました。

むしろ今まで何で残していたのかwただ『NT』と『アニメージュ』は気合で持ってきましたけど。


恐ろしいのはここまで苦労して引越しして、大学院の入学手続きまでしたのにもかかわらず、

未だに大学を卒業できているのかナゾであるということですw


ホントにああいうのって融通利かないものなんですねえ。大学の掲示板にしか張り出さないと…

大学には残念ながらそこまでの仲良しさんがいないので都合いいこと頼めないし、

こっちは卒業式なんてものにでるために、大阪で金使い続けたり、東京来る日程厳しくする気は全くなかったので、

大学授業が終わって2月に即帰りしました。


単位は取れてるし、学籍情報も消えたみたいなので大丈夫だとは思うのですが申請した卒業証明書を全く送ってこない。

ホントお役所仕事やな。これだから国立は。


まあ気にしても仕方ないのでそろそろクレームだけ入れるしかありません。


大阪での生活もそれなりに充実してて楽しかったんですが、やっぱり地元はいいもんですね。

大阪でしんどかったのは気軽に買い物に出られないって事です。

買い物っていっても本かゲームくらいしか買わないですけどでかい店が近くにないってやっぱりさびしい(´・ω・`)


都会もんの贅沢な悩みだとは思いますけど。Amazonばっかじゃ味気ないです。ダンボールばっかり溜まるし。


たまにはでかい本屋を時間かけて見て回りたい!ジュンク堂なんて一日余裕で居れますし。


あとはなんといってもアキバが近いことが最高ですwチャリこいですぐ着くし!

四年間全くたまらなかったアニメイトのポイントもこれからは大活躍にちがいない。

イベントだって参加しほうだいですよ。


ただ調子に乗って買いまくってるとまたえらいことになりますので。

今回引越しにあたって大量のマンガやら雑誌は全部弟の部屋にもっていきました。


もともと本棚に入りきっていなかったので、全部あわせるとまた新しく本棚を買う羽目に…どういうことやと


さらに大量のゲームも一緒に置いておく事にしたのでこれを機にゲームラックも三つ購入。


Xbox二台もいらないね。ファミコンディスクシステムなんてもはやアンティークですよ


ハイベットを弟にあげてその下に本棚、ほかの壁にも本棚とゲームラックを置くと、

気づけば入り口以外は全方位が本(マンガ)に囲まれているという。


いやこれ、…最高やんけぇ.。.:*・゜(n`.∀´)η゚・*:.。.ミ ☆


いやー良かった家族みんなマンガ大好きでw

どんだけ部屋が狭くなろうが、買ってきて面白かったら、「これ読んでみ、面白いよ」って勧めるだけですから。

これでみんな共犯。どんどん侵食していこう(・∀・)


こちらの部屋にも昔からある手塚治虫萩尾望都池田理代子が場所とってるわけなんでね。逆もありだと思います。

パタリロとかホント量半端ないですし。でも必要な成分なんでどっかやるわけにいきません。


ただ美味しんぼクッキングパパはさすがにしんどいということになり、



叔母のマンションに退避させましたwww


叔母「え、なにこれヘ(゚д゚)ノ ナニコレ?」

私「いや、入りきらなくて。もうあんま読まないからさ」(迷惑ですねえ既に本棚二つ持ってってます)

美味しんぼ』は47巻まではおいといても良かったですけど。


そしてさらに年代ものの祖母のサザエさん初版本多数…ふるいですよこれは…



じゃあ書庫行きということでw というか祖母はさらに新装版も買いなおしていてそっちだけいると言われたので。


叔母「これ、めちゃくちゃ埃かぶってるし!!!」(すっごい迷惑そう。しかしここで起死回生)


私「なんかここの表紙のとこに(叔母のと母親の)名前書いてあるんですけどww」

私「名前書いちゃったらこれもう持ち主ってことだから引き取るしかないねw」



ちっちゃいころ落書きしちゃったんでしょうねえ。

うちの弟が小さいとき同じようにドラゴンボールの表紙に油性マジックでひらがなで名前書いてましたね。

あまりにも遠慮なくて界王神様の姿が名前でかき消されてました。

こっちはそれ見つけて泣きながら鬼ギレしたわけですが。



やっと大物がその座を明け渡したのでちょっとごみ屋敷のような状態からは回復しました。

一週間以上かかりましたね。これを機に学習机やその他もろもろ捨てたので。


当時はみんな持ってたわけですよマリオとか東映キャラものの学習机を。

しかもすっごい高いんです。子供は残酷ですね。勉強するわけないですもんね。


たぶんピアノやる人がいない家のグランドピアノと一緒で100%物置ですよ。

今の子供たちも持ってるのかなあ。


やっと部屋も落ち着いたので地元の友人たちを呼べるようになりました。


一人社会人なんですが、先週週5でマン喫と称して我が家に帰宅してましたね。


私も自分の持ってたのとは違うマンガたちをやっとじっくり読めます。

だいたい持ってる本が千冊程度だと何週もして内容覚えちゃいますからねえ。どんどん新鮮味がなくなる…

今は昔のマンガをまた読み返したり新しいのを読んだりとめちゃくちゃ新鮮で刺激ありますw

もうすぐ授業も始まるしそんなこと言ってられなくなりますけど。


ちなみに今はまってるのはよしながふみ先生の『大奥』です。

大奥 (第1巻) (JETS COMICS (4301))

大奥 (第1巻) (JETS COMICS (4301))


徳川幕府が女社会として成立している設定なんですけど、それが成立しきっているわけではないんです。

3代家光のころまでは男社会であって、奇病で男子の人口が激減してしまったために苦肉の策としてとった

女性が一国一城の主となることを認めるという法令がいつしか慣例化してしまった。

しかし男の代理という苦肉の策だったために女社会というほどにはしっくりときていない。

その違和感を基に八代将軍吉宗が今まで書かれた歴史の日記を紐解く形で物語が流れていきます。


この女社会が「しっくりこない違和感」という部分をどういう方向にもっていくのかで今後大きく話の展開が変わる気がします。

人々の意識とか習慣とかそういった方面にもっていくのかなあ。ここら辺が楽しみなところです。


物語の展開も面白いしかなり濃い物語ですが絵に品があるのでくどくならないです。

きのう何食べた?はさらにあっさりしてますけど。



あとは吉田秋生先生の海街diaryが新刊出たのでそれを読んでると吉田秋生成分が欲しくなるw

海街diary: 陽のあたる坂道 (3) (フラワーコミックス)

海街diary: 陽のあたる坂道 (3) (フラワーコミックス)


『海街』はBANANA FISH以後ここ何作かの天才ものに関連するシリーズから、

街や日常を題材にしたような以前の感じに戻りましたね。

でも絵柄も変わってるし内面の描き方なんかはYASHA-夜叉-』『イヴの眠り』のような特徴あります。



そうすると今度はまた『カリフォルニア物語』あたりのズッシリ来るやつ読み返したくなるんですよ。

カリフォルニア物語 (1) (小学館文庫)

カリフォルニア物語 (1) (小学館文庫)

Amazonには文庫しかないですね。


ホントにいい家に育ったな〜


なにはともあれ無事戻ってこれたんで良かったです。

私家版『このマンガがすごい!2010』


個人的に2009年に衝撃を受けたマンガ作品を挙げていこうと思います。


ただオトコ編とオンナ編のカテゴライズが良く分からないので(雑誌で分けてるのかな?)

特に分けずに行きます。だいたい半々くらいにはなるはず。

順位なんてのもあまり意味ないのでランダムで。

対象は本家に合わせて2009年1月から12月までに単行本が発売された作品。



ではさっそく。


弱虫ペダル

弱虫ペダル 9 (少年チャンピオン・コミックス)

弱虫ペダル 9 (少年チャンピオン・コミックス)


今年の熱血少年ものの筆頭。

合宿編からインターハイ編への盛り上がりは半端じゃない。

現在も『週刊少年チャンピオン』本誌でインターハイでの熱い戦いが展開されています。


自転車競技のマンガってあまり多くないと思いますけど、読むと当たりが多いです。

スポーツものが好きな方にはおススメです。


主人公は、ちょっともろくて、どこか頼りないんですけど、愚直で熱いんです!

彼は必死にペダルを回します。他にはなんら秀でた長所や経験値はなく、ただひたすら回すのみ。

でもそれが熱い!

その勢いがマンガを引っ張り、読み手を引っ張り、ドキドキさせてくれるとても素直な少年マンガです。



ヴィンランド・サガ

ヴィンランド・サガ(8) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(8) (アフタヌーンKC)


とにかく世界観と絵の魅力で見せてくる作品。その描き込み具合には毎度驚かされます。

そりゃあ週刊連載ムリですよ。


ただ今回はあまりにも驚きました。

8巻にあったあるサブタイトル「END OF THE PROLOGUE」


マジですか幸村先生ェ Σ(・∀・;)


あれほど緻密に、濃厚に描かれたヴァイキングの物語が、まさかまだ序章でしかなかったなんて・・・

凄いです。幸村先生半端ない。

はたして終わりはいつになるのか見当もつかない。

先が気になってしかたありません。



月光条例

月光条例 6 (少年サンデーコミックス)

月光条例 6 (少年サンデーコミックス)


今一つ入り込めないでいたこの作品なんですが、6巻の赤ずきん編」で一気にきました。

もうこの話だけで、ここの衝撃だけですごいと思ってしまいました。


藤田先生はやっぱり凄い!!

藤田先生は本当に胸にグッとくる描写をマンガのなかに描きます。

この力のある絵はなかなか見ることはできないと思います。


藤田先生のマンガって、サンデー本誌だと見づらく感じてしまうのは私だけでしょうか。

1ページ使った「笑顔」とかは最高なんですけど。


からくりサーカス』もそうだったんですけど、本誌だと見づらく感じたものが単行本ではしっくりきます。

なんというか、描写がもう自分の視覚に入りきらないような感じ。とても処理しきれない。

他にこういう感覚を感じるマンガは『ジョジョ』くらいでしたね。


ただ正直『月光条例』は短編むきの設定な気がします。

長編ともなると、物語を動かす核みたいなものがありますけど、それがなかなか見えてこない。

これから大きな広がりを持つんでしょうか。


まあ『からくりサーカス』も序盤ではあれほどのストーリーになるとは想像もつかなかったので、

まだどのように進んでいくかはわからないですね。



『かぶく者』

かぶく者(6) (モーニング KC)

かぶく者(6) (モーニング KC)


モーニングで隔週連載している歌舞伎を題材にしたマンガです。

とにかく絵の迫力が凄いです。四谷怪談の描写も鬼気迫るものがありました。

題材的にもあまり一般受けしそうにないのなかなか薦めることができないのですが、

この迫力は一見の価値ありです。


舞台とか好きなので個人的には今年だいぶ楽しませてもらいました。


歌舞伎の所作や見得には、動きが凝縮されたような、カッコよさや美しさがあります。

このマンガの描写はその一端を見せてくれていると思います。



潔く柔く

潔く柔く 10 (マーガレットコミックス)

潔く柔く 10 (マーガレットコミックス)


カンナ編の盛り上がりがすさまじい!

最終章に来て全てが集約してきている感じがします。

「何 この同窓会状態」

読者もそう思ってしまう。


そしてたくさんの人とのつながりのなかで、描かれる心理描写がまたいいです。

表情、言葉、背景や行間の表現力。そういったものが合わさってこちらの心をドキッとさせます。

マンガならではですね。この表現は。


多くの登場人物が恋愛関係にありますけど、「マヤ、朝美、カンナ」この三人の描かれ方は違うなあと感じます。

相手にすごく引っ張り上げられるような、そんな描き方ですね。


カンナがどうなるのか、それでこのマンガは一気に終着点へと向かうのでしょう。

この物語の中心にある「7月31日」は今後カンナにとってどのようなものになっていくのか。


でもここまできてしまうと、カンナが普通にハルタ以外の人を好きになってしまったらなんか嫌ですね。

マンガを通して見事にハルタの呪縛にかかってます。

本当に読み手を入り込ませる作品だと思います。



ちはやふる

ちはやふる (7) (BE LOVE KC)

ちはやふる (7) (BE LOVE KC)


今年度のオンナ編第1位の作品。

個人的には去年の1〜3巻のほうが熱量は高かったですね。


ただ勢いは全く落ちないです。というか、今次の巻がもっとも気になる作品。


かるた競技という珍しい題材ですけど、この作品は絶対に一般受けするだろうと思います。

幅広い層に読んでほしい作品です!


でもこのマンガって少女マンガなんでしょうか?

描写的には少女マンガなんですけど、今のところめちゃめちゃスポーツものだと思います。熱血系です。



flat

flat 2 (BLADE COMICS)

flat 2 (BLADE COMICS)


秋君のかわいさはちょっと異常。非常事態。

赤ちゃんと僕』の実を思いだしてしまいました。

ただ事ではない、このかわいさは。

最近ではアニメ蟲師15話「春と嘯く」に出てくる弟のミハル以来の衝撃!!!


あまり周りの人に言い過ぎるとショタ認定されるだけなのでつらい…

だけどあえて言えばショタ必読の作品。


少女ものはあまりアニメ化望まないんですけど、これはアニメ化したら歓喜します。


漠然とですけど、『夏目友人帳』に似ているかなと感じました。

要所に相手をわかりたい。心を通わせたい。といった描写が見えるところでそう感じたんでしょうかね。


flat』でいえばそれは「小さい子供」で、『夏目』なら「妖怪」が中心軸になるわけです。

最近の『夏目』では、それが学園での対人関係としても描かれるようになってきたので、

その辺りの雰囲気が似ている気がしたのかなあ…



以上の作品が今年度「すごい!」と感じたマンガです。


「面白い作品」というのは結構その時々で変化したりするため基準としてなかなか難しいので、「衝撃度」を基準にして選びました。


本家『このマンガがすごい!2010』のオンナ編とは全部被ってますね。

少女マンガの雑誌は『別冊マーガレット』と『Cookie』しか読んでなかったのでこんなものです。

白泉社なんかは見る機会がありませんでした。


ただ『別マ』と『Cookie』もバイト先で発注してたのが止められてしまったので、11月号までしか読んでないです。

休憩中に読むのが楽しみだったのに…(´・ω・`)


君に届けは本誌連載分だったらここに入れてました。11月号はやばかったです。

そして続きが気になります。ここでスパッと終わるのもありな気もします。


読んでいる雑誌のなかで今年一番楽しかったのは、『週刊ヤングジャンプ』です。次が『週刊モーニング』。

この二つが読むマンガ多いです。特に『ヤンジャン』は『キングダム』嘘喰いハチワンダイバーといった

毎週続きが気になる作品が多かったですね。




最後に番外編


アオイホノオよつばと


王道ではない、つよい感動をうけるというわけでもない。

でもこの二つは、ベクトルは全然違いますけど、本当に読んでいて楽しくなる作品。

こういう作品が読めるのは幸せです。ありがたいです。


マンガに限らないですけど、エンターテイメントにオールインワンなんてないと思うし、求めるべきではないと思います。

足りないものを指摘して、批判のための批判するなんてしょうもないです。


今は多くの選択肢があって、そこから自分に合わせて好きなものを楽しめる。それがいいですね。


アオイホノオ 3 (少年サンデーコミックススペシャル)

アオイホノオ 3 (少年サンデーコミックススペシャル)

よつばと!  9 (電撃コミックス)

よつばと! 9 (電撃コミックス)

『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』を見てきました。


大分前に見てたんですが書き忘れていたので。

ONE PIECE FILM STRONG WORLDを見てきました。


今年は『ワンピース』にとって記録ずくめの年になったなあと思います。

十周年に合わせて劇場版直前の56巻が再高初版発行部数を記録し、劇場版も記録的な動員数。

まあ狙って取りにいったとも言えますけど。

一番わけわからないのが「このマンガがすごい!2010」の2位。

なぜ今更????しかも2位かい!!


どういう方針転換なんでしょうか、今年はやけにジャンプマンガが多かったです。

どうせなら1位とらせれば良かったのに…



今回の映画は「先着150万人に0巻配布」と「尾田栄一郎総指揮」のキャッチコピーにつられてか、

いつもは映画に足を運ばないような人が多く来ていたように感じました。


私もローソンでブックカバー付き前売り券を買っていたんですが、12日初日の朝一にいっても席がありませんでした。

特典効果をなめ過ぎでしたね。

帰ってからネットで見たところ、10日ごろには初日二日目の席は全部埋まっていたようです。土日だからかあ・・・

もっとちゃんと調べとけばよかったと後悔しました。


仕方なくその日は一緒に行った面子でなぜかラウンドワンにボーリングしに行きました。

するとそのボーリングのモニター画面に劇場ワンピースの番宣が!


うろ覚えですけどジャンプに告知されていたナミがひざまずくシーンがあった気がします。

強烈だったのがその後のカットで、激昂するルフィのどアップが!!!


明らかにクライマックスだろうと思わせるシーン。さらに馬越さんぽかった。

アニメージュに馬越さんは劇場ワンピース参加中みたいな記述あったので、これはラストくるのか!?パンチとかやっちゃうのかと、

その日は映画見れなかったにもかかわらずテンションあがって帰りました。


そして休日明けの月曜日に再び映画館へ。

席はど真ん中の最高の席でした。なぜか左側が5つくらい席空いていたんですが…

もちろん0巻ももらえました。


映画自体は尾田先生が関わっているにしてはワンピースっぽくないかなと感じました。

と同時に感動ものじゃなくて、カッコいいものを作りたかったというのはこういうことだったのかと納得もいきました。


特典につられていったマンガファンにとっては、内容は期待していたものと違ってたんじゃないですかね。

実際周りの人の評価を聞くとあんまり良くないです。

それはおそらくマンガの印象を引きずり過ぎているからだと思います。


ファンにとってワンピースは、感動もののストーリーであり、緻密な伏線があり、どのキャラもが主人公のような魅力をもった

そんなマンガなんじゃないかと思います。


でも今回の映画はストーリー性そのものよりも描写にこだわっていたように感じました。

さらに焦点を当てられているのはルフィとナミの2人で、マンガのように多くのキャラがそれぞれ難敵との遭遇を通して

成長するようなシーンもありません。


しかし緻密な伏線や、それぞれのキャラのエピソードや多くの人との出会いといった、マンガに見られる壮大なストーリーは

とても1、2時間程度のアニメで描けるものではないです。

設定上本編との絡みがあったので、そういった部分を期待するのも仕方のないことだと思いますけど。


そして尾田先生は「少年のために」というコンセプトを掲げていました。


私が思うに「感動もの」といわれる、所謂泣ける作品は子供のためのものではありません。

作品を見て泣くという行為には、見る側の強い共感が必要です。

ですが子供には、多くのものに共感を持つに至るほどのさまざま経験がまだ蓄積されていません。

その分子供の感情表現は生理的なものであったり、とても単純なものになります。


私も小さいころからマンガやアニメを見てきましたし、昔はとりあえずテレビをつけて見てたテレビっ子でしたけど、

子供のころなにか作品見て泣いたなんて記憶ありません。中学くらいまでそうだったので自分にはあんまり感情ないのかなと思ったほどです。

所謂さわやかな青春恋愛ものなんて今見ても共感できません。もっと人と人とのつながりというところまで行き着けばわかるんですけど。

お子様なので…


尾田先生が恋愛要素なんかを描かないようにしているというのも、そういった理由からじゃないかと思います。


今回の映画は、ルフィ一味が島を冒険して、仲間を守るために、カッコよく登場し、派手にぶっ飛ばす!

という「少年もの」の王道だったように思います。


以下感想


一番かっこよかったのは「殴りこみ」のシーンですね。

全員正装で尚且つ武装しているという、ワンピースでは見たことがないカット。

これは0巻でもパンフレットでも一押しされていました。


個人的に時代劇が好きなので、ああいう討ち入りのようなシーン見ると「おおっ!!」て反応してしまう。


全体的にルフィの描写が良かったです。

特に始まりの動物とのバトルと終いのシキとのバトルが良かった。


あの二つが今回の映画を代表するようなシーンだったと思います。

「未知の島での大冒険」と、「仲間を守るための戦い」

ルフィたちはそれぞれに夢を持っていますが、海賊としてのルフィ一味の在り方も中心はこれですよね。


あとはクリーチャーデザインはですね。

これは尾田先生自ら担当されているわけですけど、マンガ同様に動物が魅力的です。

テログマとかホントにすごいと思う。


周りに小さい子がいないのでそこら辺の素直な感想が聞きたいですね。


個人的にはロビンがやたら可愛かったのが印象的でした。

あれはぜひ本編にも取り入れるべきだと思いますw


シキを演じる竹中さんもぴったりのはまり役でした。

声が良く通って本職のベテラン声優さんのように上手かったです。


あと0巻を読んでいて気になったのが、シキが所有していた二つの剣「桜十」と「木枯し」

これほどの人物が自ら「名剣」だと言っているので最上大業物な気がします。

その二本の剣はおそらくシキの足に刺さっている剣だと思うのですが、そうすると最上大業物12工のうち

二つも一気に消えちゃったってことなんでしょうか。大して剣の見せ場もなく…

まあ推測にすぎないですけど。


やはり世界設定が本編と関わってくるとどこまでリンクしているのかなって気にはなりますね。



色々あって初日使うつもりだった前売り券が一枚余ってしまったので、近いうちにもう一回見に行きます。

0巻はまだ余ってるんでしょうか。手に入ったら行ってない人にあげよう。


特典ブックカバー             0巻  



こうして見ると、写真ががきたない(;つД`)わかってたことですが。

そろそろ携帯変え時かも。