バーディー7話スルーしすぎた
更新久しぶりすぎる(-_-;)
大阪→東京→大阪と帰ってきてから生活リズムがボロボロです。
夜勤で昼夜コロコロ逆転するわ花粉症はひどくなるわ
バイオをひたすらやり続けるわでほとんど寝てません。
見苦しい言い訳ですけど・・・
誰か来るかなとか言っていた鉄腕バーディー02の7話も東京帰っている間に終わっていてすっかりスル―してました。
結局これで今期すべてのアニメを積むことに(´Д⊂ヽ
ほんでもってまた東京帰還です。今度は2週間くらい。こっちでバーディ見るために積んでた分はきっちりiPodに入れてきました。
そして友人とバーディー視聴。画質は心配してましたけど問題なかった。次からもこれでいけるなと。
そして内容の方、これは・・・完全に祭に乗り遅れた気分・・・
後の祭り、一人祭りヽ(´∀`)人(・ω・)人( ゚Д゚)人ワショーイ
やっぱ過去編で松本憲生さん来てるしー!
あんだけ自分で言っといて完全ドスルーてありえね〜。・゚・(ノД`)・゚・。
それにしても超濃いんですけど、特にBパート。
ねっとりとしていてそれでいてむっちゃあっという間の30分でした。
Aパートはリトルバーディーが街の中を飛び回って、1話冒頭のバンクにつながってくとこがスピード感あふれていて良かったです。
なんかNARUTOみたいでしたw
Bパートは、えっやり過ぎじゃない?って所もありました。
アニメーターの色がこれでもかってくらいでてました。
多分受け入れられないんじゃないですかねこれは。
中盤の仁保知行さんやってた所とかかなり浮いてました。
兵士が敵と交戦するあたりからでしたけど、正直となりで見てる友人がどういう反応するのかそわそわしましたよ。
最初はなんも言ってなかったですけど、途中リトルバーディが戦闘→落下していくあたりなんかでさすがに
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工とか言ってましたからね。
私もそりゃそう思いましたよw
別にあそこだけがバーディにとっても見る側にとっても特別な所というわけではない。
むしろ特別なのはその後の方です。
とするとなんでここで敢えて?という疑問符が残ったままになってしまいます。
動きとしてもあんなフォルムである必要はないですしね。
そのあとヴァイオリンが登場するあたりからが松本さんなのかなあ・・・
でも期待していたのとはちょっと違いました。
背筋がゾクっとくるような気持ちよさはなかったですね。
スピード感も物凄いしテクニカルな作画でしょうが、ちょっと眼がついていかない部分がある。
それもバーディーの視点として、ある種三人称視点として敵メカがぶっ壊れていくシーンと捉えられるなら納得いきましたけど、
途中明らかにヴァイオリン視点と思われる箇所が入っていたのでそうじゃないんでしょうね。
個人的にはその後の沓名健一さんのヴァイオリンVSバーサーカーのカットのほうが視点的にもわかりやすくて好きです。
後は動き的にもマリオネットであるヴァイオリンに対する意識の違いが出ていたような気がします。
前者のヴァイオリンの方が機械的で後者の方がより人間的な身体性が入っているように感じました。
その後ヴァイオリンが殺されたあたりからが山下清悟さんでしたね。
バーディーの表情が凄いことに・・・
ただここは絵的な演出要素が入ってると思います。
その後つとむにもその感情が流れ込んでいる事が表情からわかります。
これはその凄惨な光景を見たことによる涙ではなくて、バーディーの記憶に強い感情が心性として定着し、
それをつとむが追体験していると解釈したほうがいい気がする。
鉄腕バーディーは物語的にも結構重たい話きますけど、7話はその点でも重要だったと思います。
序盤でバーディーの願望で記憶が事実から変わっているという箇所があります。
それを修正すると今まで人間味にあふれていたヴァイオリンが急に精巧な人形に変わってしまう。
ちょっとよくわからないのはつとむはバーディーの記憶というメタ世界を覗いているわけですけど、
これって修正できてしまうものなんですね。
イクシオラだから完全に管理されているのか、それとも抑圧された記憶データが残っていたのか・・・
バーディー復活はしましたけど、その記憶はつとむの体験によって勝手に書き換えられてしまっているんですよね。
マリオネットであるヴァイオリンを受け入れているような発言もしてますけど、
これってはたして自らトラウマを解決したのかどうかっていう・・
ここはつとむのパートナーとしての存在価値を強調したかったのかな?確かに若干空気になりつつありましたけど。
ここら辺の物語要素は作画的に演出意図があったのかという事とも関わってきます。
つまりトラウマのために記憶の世界に揺れが生じていて、それを表すためにあえて絵を崩したのかということです。
最初は演出としてそういう解釈もできなくはないと思いましたが、この序盤で記憶がはっきり修正されている。
なおかつ一番のトラウマ箇所であるヴァイオリンが殺されるシーンでも、
かつて夢ではぼやけていたところがバーディーの意識は鮮明に保たれた状態で構築されている。
7話で一番話題になりそうなのは仁保さんのところでしょうが、こうみていくとやはりあそこはアニメーターの個性的な表現を重視していたと考えられます。
メギウス警部のあたりはバーディーの記憶の箇所ではないですしね。
つとむも体験してないだろうし、あれは視聴者のための描写であったはず。
個人的には面白かったですけど、一つのアニメーション作品としてみたらやり過ぎだし受け入れられないでしょう。
不快感を感じさせたり、爽快感を感じさせたりというのは浮いているようでいて演出意図と合っていることが多いと思います。
しかしただ違和感を感じさせるだけで終わってしまっては意味がない。
なんでこんなことになってるの?みたいな。
作り手側がどういう意図を込めようと見る側にはあまり関係ないですから。
見た時に整合性がある、納得できる(作品から感じ取れる)ということの方が重要になるわけです。
芸術作品なんかでは理論先行で、「これはこういう意図だからこういう表現をしている」という言い方もされるでしょうが、
そんな事をしていたら門はどんどん狭くなるばかりだし、少なくとも現在アニメはエンターテイメントでやってるんだから、
「こんなものを作りました。どうぞ見て下さい」って姿勢がなくなったらダメですよね。
まあそうやって門を狭くしてしまうのは作り手側より玄人ぶってる見る側の人間なんでしょうけど。
この7話が『アニメージュ』で特集組まれるということだったので、そのために買いましたけど、正直もっとページあってもいいのではとw
4月発売の『アニメージュオリジナル』で続きが掲載されるようなのでそっちを楽しみにしてます。
『アニメージュ』みて思ったのは、やはりアニメーターさんたちだって批判覚悟で冒険したわけです。
だから素直にレスポンスすればいいと思う。
なんだか放送後肯定派、否定派合わせて勝手に解釈されたアニメーター像が出来上がってる気がしました。
あとはおなじみの「作画」定義w
概念共有できてないなら使わない方がいいと思うんですが・・・
もはやネタなのか、まあそういう祭りなのかw
いよいよ残すところあと2話となりました。
最終話はりょーちもさん作監で『アニメージュ』みてもそうとう準備して作りこんでる感じがするので、今からものすごく楽しみです!